肉屋とパン屋で救われた話
以前肉屋に行ったとき、定価より低い代金を請求され、一応確認したら「ええわ、負けといたる」と言われたことがある。
そして今日、パン屋に行ったら、「もう店閉めるから好きなの一個持ってって」と言われた。
店を出て徐々に、ある感情が湧いてきた。
救われた、という感情だった。
この感情はお金が浮いたこととはあまり関係がない。
代償を無視して何かを与えること、親切とか優しさとか人情とか呼ばれるものを感じた。
僕はそのあと、困っていた欧米人に声をかけた。
僕はここで、チェーン店のマニュアル的な接客や、それを蔓延らせた近代文明を批判しようという気はない。
ただ、ときに不思議なことは、ふと親切な行為をすることもあるけれど、ある種意識的に、相手に特別な感情を与えたいがためにそうした行為をすることがあるということである。
これはむしろモノは増えれど人間存在の自明性がなくなり、それによって人間への信頼が薄らいだ現代という状況に対する反射であり、こうした状況なしには想定できないような気がする。
人間と非人間の境界が曖昧になり、もはやこの概念の意味が喪失されかかっているからこそ、強いてこの概念にしがみつき、証明をするためにそうした行為をするのかもしれない。