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「でも私、本当は紅茶の方が好きなのよ。」
女は言った。
しかし彼女が飲んでいるのは深煎りのブラックコーヒーであった。
「紅茶にはお砂糖を入れるわよ。コーヒーを紅茶にしたってしょうがないじゃない。」
彼女の視線はまっすぐだったが、その視線の先には何もない。
煙草の灰を落としながら、わずかに笑みを見せた。
周囲は静かだった。他に人もいるが、ほとんど気にならない。胡麻塩頭の店員がへの字口をして皿を拭いている。
カウンターにはソーサーに乗ったコーヒーカップとスプーン、それから綺麗な灰皿が載っている。
「好みっていうのは選ぶものでしょ。」
壁掛けのスピーカーから流れる曲が終わり、すぐに次のが流れ始める。
彼女と周囲のものの流れの間に僅かなズレがあるような気がする。
また別の人の中にもズレがあって、そのズレがこの特殊な空間を形作っているのだ。
今流れている曲も、次の曲も、その間の無音も、一定の時間を占有しているはずだけれど、それはここではない全く別のところの話にすぎないのだ。
全ては綯い交ぜになる。
ブラックコーヒーの中に滴らせた一滴のミルクは、二度と元には戻らない。