雨宿り

何かにちなんだりちなまなかったり。

思考ノート2

早くもやめたくなっている節もなくはないが、私は教員を目指している。

それについて詳しいことを述べることはあえてしないが、教育の可能性について考えてみたい。

人間はおそらく、子供のころ育った環境によって、その後の生き方が定まってくるだろう。

親と同じ職に就く人、大きな病を経験し医者や看護を志す人など、様々に挙げることはできる。

大人になってから人間性を変える経験をすることはまれである。

だから、子どもの頃に良い経験をするべきであり、それによって良い人生を生き、社会を良い方向へ導くようになってほしいと願う。

 

そもそも、私が教師を目指すことになった最初の原因は小学生の頃のある経験であった。

小学生の頃、クラスメイト達は、友達を殴ったり殴らせたり、ケンカのまねごとをしていた。

当時の私にはそれが不思議で仕方なかった。あるいは彼らは強さに憧れていたのかもしれない。

優しさとか愛情とかそんなナヨナヨした訳の分からぬことは弁える気にもならぬ彼らは、力というこれ以上ないほど分かりやすい指標を頼ったのかもしれない。

無論、私も彼らの儀礼に参加した。ただし、自分から手は出さなかった。友達を殴る理由はなかったし、暴力は連鎖すると思ったから。

今やあまり覚えていないが、痛いなあ、嫌だなあ、と思った。しかし彼らは恨めなかった。

だって彼らは純粋で素直だったし、私を嫌ってやっているようには見えなかったから。

それに人を恨むにはそれなりの覚悟が必要だ。自分の恨みは自分に返ってくるか、第三者にぶつけられるかだ。

私は彼らを恨まなかった。しかし他の誰か、とりわけ心の弱い誰かが私と同じ目に合えば、きっと彼らを、友達を恨んでしまうだろう。

そうすれば恨みを受けた彼らはその時こそ本当に暴力を振るうだろう。

それは、とても悲しいことだ、と私は思った。

さらに、それを大人が見れば、暴力を振るった彼らが責められ、彼らは納得しないままむしゃくしゃした気持ちを大人にぶつけるだろう。

これほど悲しいことはない。

彼らになぜ友達を殴るのか聞いたことがある。よく覚えていないが、まともな答えではなかった。

彼らに痛いことはやめてくれと言ったことがある。彼らはやめなかった。

たぶん、やめられなかったんだと思う。なぜそんなことをするのかもわからなかったんだと思う。

彼らは自分の中で燃える得も言われぬものを持て余していたのだ。そのことを知らないままに。

結局、私が一人別の中学に行ったのは、そこから逃げるためでもあったろう。彼らのことは好きだが、痛いことやリスキーなことは性に合わなかった。

訳も分からず人を傷つける子供たちを、その子供たちから傷つけられる別の子供たちを、そうした子供たちから疎まれる大人を、助けたい、そう思った。

恨みが生まれてしまってからでは手遅れである。傷つけられたものが恨まぬようにせよというのは酷である。だから、彼らの儀礼の力をある程度弱めてやる必要がある。

彼らが力に訴えざるを得ないのは、上に述べたように、彼らがいまだ未熟であって、「優しさ」とか「人情」といった概念を持たないからだ、ということと同時に、本能的な欲望ということがある。

社会的な人間ではなく、動物としてヒトを考えたとき、そこには必ず競争原理があり、他者を出し抜いたり支配したりする必要に駆られる。

我々が実際にそうした煩瑣なことにとらわれることなく社会で生活できているのは、「人情」の類の事柄の理解あってこそである。

だから彼らにはそうした「情」を与えてやればよい。最も考えやすく、また不可欠ですらあるのは、親や家族からの愛情である。

親が十分な愛情を注いでやれば、少しずつ「人間」的になってゆくだろうし、安心できる場を提供してやることもできる。

ところが現代では、そうしたことができない家庭が多くある。

モンスターペアレントアダルトチルドレン毒親の類である。

つまり、愛情を必要とする大人によって愛情を必要とする子供が育てられる、というおぞましい状況が生まれているのである。

結果、孤独な子と、孤独な親が生まれ、相互依存関係に陥るわけだ。

残念ながら、大人を変えることは非常に難しい。

だから、子供を変えなければならない。

子供の発育に関して最も大切な家庭の協力なくして、子供を愛のある人間に育てられるだろうか。そしてそれは教育の仕事だろうか、でなければ、何の仕事だろうか。

これが、今私たちが考えてみるべき問いである。