情緒
感情は曖昧模糊としている。
感情に限らず、欲望、思考、その他精神的な事柄は言葉を拒む。
説明ができないわけではない。しかし、それでは明らかに不十分だ。
私たちは普段、便利な感情の言葉を使っている。
それらは言葉としての役割を十分に果たしているはずだ。
だがその言葉から漏れ出した感情は無限に存在し、常に隠されたままになる。
その中には、人間にとってとても大切なものも、あるだろう。信じられないくらいきれいなものも、あるだろう。
自分の感情を安売りするものではない。感情の言葉によって見落とされるものがあるはずだ。
私たちは、文学によって、体験によって、感情を再発見することができる。
しかし、文学者でない私たちは、微妙な情緒をそれほど大切にすることなく日々を過ごす。
だから安易な言葉でとりあえず満足する。
むしろ、どこかでそういう安い感情を求めているのではないか。
物語だって、悲しい結末の方が、美しいのかもしれない。しかし私たちはハッピーエンドを求める。
深く、言葉で表しきれない何かがあるとわかっていても、言葉できれいに表せるものを求める。
たぶん私たちは、ずっとこのままなのだ。