キスの日
今日はキスの日だそうである。
キスは不思議なものだ。
有体に言ってしまえばただの身体の接触に過ぎないのに、それが特別な意味を持つ。
肩が触れたくらいではどうということはないのに、どうしてだろう。
普段衣服で隠れている部分ならば、不思議なことはなにもない。
口は普通隠れない。それどころか話すのに不可欠である。
もしかすると、キスはただの慣習なのではないか。
キスに伴う感情は、顔の接近によるものに過ぎないのではないか。
たしかに、ドラマなどでも額や頬、あるいは鼻を合わせる描写は見られる。
あご、まぶた、まつ毛などをつかったキスもあるようだ。
しかしやはりキスといえば接吻である。
そういえば、西洋では魂は口から出ると考えられており、キスは魂を交わらせる行為であるとみなされていたそうだ。
とはいえ、キスという概念こそなかったものの、日本にも古くからこれに当たる行為はあったらしい。
そもそも口は、ものを食べ、味わう器官である。
キスは相手を文字通り「味わう」行為ともいえるだろうか。
思えば、「食べちゃいたいほどかわいい」という言い回しがある。
芥川龍之介も、恋文の中で「二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。さうしてkissしてもいいでせう。いやならばよします。この頃ボクは文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。嘘ぢやありません」と書いているそうだ。
死してなおラブレターを晒される芥川の心持は察して余りあるが、随分と可愛らしい言い回しだと思う。
「kissしてもいいでせう」と書いておいてから「食べてしまいたい」と持っていく、この並びは意図されたものなのだろうか。
聞いたところでは、寂しがり屋の人は無意識に唇を触ることが多いのだそうだ。
ふと気づくと手が口元にある私は寂しがり屋なのだろうか。
もうひとつ、唇が持つ特徴があった。皮膚が薄くて神経が多いということだ。
寒い時に唇が青くなるのは血液の色が変わるからだと聞く。
たしかに、唇は特に敏感な部分なのかもしれない。
他の動物はどうだろう。唇の皮膚が薄い動物というのはあまり思い浮かばない。
キスは、人特有の文化なのだろう。