雨宿り

何かにちなんだりちなまなかったり。

神経病者と権威主義

権威主義的パーソナリティなる語は主に全体主義の文脈で用いられるものであり、それゆえ現代ではさしたるアクチュアリティを持たないと目されるかもしれない。

しかし権威主義の特徴を少しでも考慮したらばそのような考えは表面的なものに過ぎないと気づかされる。

権力を持った人格に対して恐怖を抱きつつ全幅の信頼を置くことで、自己の人格を放棄することが、典型的な権威主義的パーソナリティの特徴である。

権威を人格にとどまらず、自然法則や運命、あるいは宗教的な教義に置き換えることも可能である。

他者に対する過酷な態度、権威への盲従、恐怖や不安による指導は全て権威主義に結び付けて考えられるテーマである。

端的に言って現代では権威主義的パーソナリティはむしろ増加傾向にあるようにすら思われる。一般的な市民の多くは権威主義的傾向を持つ。

神経病者は、社会の不条理に抵抗することから、権威に反旗を翻すのを避けられないことは容易にわかる。

E・フロムによれば反権威主義的態度は二つに分類できる。権威主義を内に秘めつつの権威への反抗と、いかなる権威にも反対する革命的態度である。

神経病者は後者でなければならない。ある権威への批判の背景に別の権威への依存があってはならない。

というのも権威主義的パーソナリティは人格の放棄へと繫がるからである。

神経病者はその強烈な人格によって自己の意志を貫徹するものであるから権威一般に対して腹を据えかねる。

したがって自然、神経病者は絶対的な根無し草となる。

彼はどの集団にも属さないアウトサイダーである。